自問自答史。

自問自答史。土から風に乗るために今までの自問自答を滑走路にしたいと思い筆を取ります。

光を見る

寂しがり屋だと忘れていた

そんなことも思い当たらなかったほど別のことに気を取られていたが

今となってはそれも思い出せない

だけど考えなくてもよかったことはひとつもなかったことはわかる

 

「大切に思う人が、私を大切に思ってくれている」

 

そんなことまで忘れて何に気を逸らしていたのか

賑やかな私が誰にも言えず悲しかった事柄

それは時と共に数を増し肉体へ拡がり始める

 

血管を通る血や

吐き出し吸い込む息にまで

染み出した事柄

 

それはすべて

「大切に思う人が、私を大切に思ってくれている」

このように言語化され実際に体験されて

実感された事柄の片鱗

 

私の隣を歩かなくても同じ部屋にいなくても

私は見えたのだ

しずかなみずうみのすいめん

いつくしみふかき光がともる

光をたたえ私を見つめた人

 

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むしとりあみ

むしとりあみを抱えて飛び出していく子どもではなかった。わたしは落ち着きはらって、彼らの動きを見ていたかった。けど、「男らしいあそびをしなければならない」ー。むしとりあみを持たなかったら、遊んでくれなくなっちゃうのかな。だからわたしはむしとりあみで、ざりがに、ばった、せみ、などなど。ただ見ていたかったものを捕まえて、彼らが見なくてよかった風景を。感じなくてもよかった痛みを。私が男になるために、彼らはヒトならば耐えられない仕打ちを受けたのです。むしとりあみで。 .........

やっと今私は男になるのを諦めている。その世界には必ず、彼らが見た風景や感じた痛みに相当するものがあるのだ。私は今や、あみの中にいた彼らでもある。

 

(小学4年の頃)

私とわたし

わたしがいきているのは縦横斜め、言葉で決まっている範囲の世界ではない。もっと、目を開けても閉じても、腕を広げても竦めても、立っても座っても感じられる場所。私がいた所では必ず、かたちがないからどんなかたちにもなれた。気まぐれにさらいに来る大きな風がふと、私や何か他のものも巻き上げて気付いたらわたしは私という形で、イラクサの畳の上に横たわっていた。誰にも教わらず私はみる、きく、うごく、さわる、ついにはま・ん・まと、話すということをした。したかったことではなく、できた。できたから、した。しかし、形になるということは形状が変化しないのだ。わたしはこの事実に驚き、水と土、草花の形状変化を羨んだ。しゃぼん玉にも夢中だった。大きく小さく、柔らかく空気に触れながら動く。そしてどこかでいなくなる。わたしがいた場所のことを思い出していた。ここでは大人になった今、私は再び彼処に近づいている。心から戻りたいと思うが、ここで形を留められるのは、あの風が一瞬の風速の中で、しゃぼん玉を吹くように大きく小さく、くうきを揺らしながら、私という形を作ったからだ。わたしと私が同じものであるとやっと分かってきたのだ。どこから来てもどこに行ってもわたし/私は、ひとりにして二人でいられる。せかいの縦横斜めにも、そう呼べない範囲にも「いる」ことが出来るのだ。私として生きる。それがわたしのいきるなのである。

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自分で自分を褒める

トムヤです。暑い日々が続き疲れが溜まっている方も多いのではないでしょうか。私はこの間漬けた梅としょうがのシロップが日々発酵していくのにときめきを感じています。

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自粛生活が始まってから、パートタイム主夫、介護師、この約1ヶ月はパートタイムシッターという3つの顔をライトに使い分けているのですが、そろそろ飽きてきてしまいました。笑

 

が、夏至が終わって1週間経って、私が今したいことは家族のケアなんだと実感。結局私はここに来れたんだなと安らかな安堵を感じています。

 

特に永遠に確実のある祖父と、子供の頃からずっと大好きな祖母という私の感情からするともうザ・陰と陽な2人を死ぬまできちんと看取りたいと思ったのです。

 

そして、祖父母の死に付き合うことが、父のただならぬ祖父からの愛情の欠乏を少しずつ諦めて、執着から解放することに繋がってきていると実感できたのも理由のひとつ。

 

私は何を夢見てたのかと今はくすっとしてしまうけれど、笑顔があふれる家庭、とかお互いを理解し合っている家族という像を頑なに捨てたくなくて、愛があったら家族は笑顔になるし、お互いを理解できると思っていました。

 

でもそれは全く的外れで、愛と理解は全く違う種類のものだったことにこの間の夏至の前日矢で貫かれたように気づきました。

 

そう、私は家族って他人ではないと思い込んでいました。別枠の特別な存在だと。

 

今も特別な存在だという気持ちは変わらないけれど、お互いを完全に理解するなんてこの俗世では到底不可能なことは分かっていたのに、家族とはそれが出来ると思っていたことに愕然としました。

 

この頑なな執着が、「なんでわかってくれないんだろう」という私の被害者意識に全部繋がっていたのです。

 

別の人間であるということは、自分とはまったく違う姿形、だったら感情も当然そうですよね。感じ方も物事の捉え方も何もかも違う。

 

理解しようとすることは出来ても、その人にならない限り、同じように物事を理解するなんて無理。

 

私は家の外で関わる人たちとは、この事実を分かっていたし、受け入れながら人間関係を作ることがおおむねできていたつもりだったけれど、家族そして恋人という生活を共にする人たちにはこの原則がまったく適応できてなかったことに気づきました。

 

自分にとって特別な存在=お互いのことを完全に理解できる、なんてあり得ない。特別な存在だからこそ必要なのは、お互いの意思や感情を素直に誠実に受け止めて、交換していくことなんだと、やっと実感をもって理解出来たのです。

 

そのことに気づいてから、家の中にいることが以前より苦しくなくなってきたし、みんなの良いところ、昔より良くなったことに気付けるようになったのです。

 

この人たちが私を育ててくれた人たちなんだなと、今まではこの家で育ったから自己肯定感の低い、卑屈な人間になってしまったんだという被害者意識が強かったけれど、それぞれに欠点があっても私を育ててくれたことには変わりないし、みんなの好きになれるところを見て付き合った方が何より自分が幸せじゃない!とある種の開き直りで今は家族と付き合っていて。

 

そうしたら、みんなが笑っている姿がちゃんとあることに気付きだして、私はただそういう姿を捉えられなかっただけなのかもしれないなと思いました。

 

思ったより私は自分の不幸が大好きだったみたい。

事実として、辛いことや悲しいことは次々と降りかかっていた子ども時代で、何より悲しかったのはだいたいいつも助けてくれる人がいなかったり、助けてくれると信じていた人に助けてもらえなかったことです。それが家族だったり、先生だったり、友達だったり。

 

だけど、自分の自己肯定感のなさや、他人に翻弄されてる感覚に陥る感覚をぜんぶ他人のせいにしていただけでした。私はそんな風に悩んでいる自分が本当は大好きだったのです。執着とか責任転嫁に気付きたくなかったのだろうなぁ。

 

このことに気づいてから少しの間は、なんだか呆然として一定の悲しみの波が心に打ちよせたけれど、その波が少しずつ遠ざかるにつれて、自分を心から褒めてあげたい気持ちがふつふつと湧いてきました。

 

悲しみ苦しみの悦に浸っていたことは事実だけど、私は自分の悲しみや苦しみをきちんと見つめ続けてきたんだなということも同時にわかったのです。どうしたらそれを克服できるのか、そのトライアンドエラーが今までの私の人生で、そこでしてきたことも出会った人たちも全部今に繋がっていて、私はもがきながらもきちんとできることをやってこれたんだなと。

 

そう思ったら自分で自分を心から褒めたい気持ちになって、ふとこれが自己肯定というやつなのではないか、と思い当たったのです。

 

自己肯定感がないって、本当に悲劇なんですよね。自分のやることなすことに自信がなかったり、自分はもっと出来るはずと、他人からじゃなくて、自分で自分にプレッシャーをかけてしまう。成果が出てるのに、この程度でいいんだろうか、とかこの程度で評価されていいんだろうかって考えてしまう。けどその一方で、こんなに頑張っているのに、どうしてみんな評価してくれないんだろう、私の気持ちをわかってくれないんだろうという被害妄想に繋がっていく。人間関係も歪んでいってしまうし、自己表現がまったく出来なくなる。

 

自分で自分を褒めることが出来るって、本当に強い。自分で自分を励まして、ちゃんと自分頑張ってる偉いなぁって心をケア出来るってことなんだって、今実感しています。

 

けど同時に自分で自分を褒められるって、自己肯定感がなかったら出来ないこと。無理やり自分で自分を褒めようとするのは、またそれも執着や被害者意識に繋がってしまうから。。

 

自己肯定って、〜ができてすごいね!とかそういう種類のものじゃなくて、ただあなたが存在するだけで私は嬉しいっていうことなんだと思う。そういう言葉を貰って、そういう感覚を受けながら育つことが人間の根幹を作るのだと思う。ここにいてもいいという感覚が自己肯定であり、存在を肯定することが愛のひとつなのかもなぁ、なんて。

 

また長々と語ってしまいました。笑

自分で自分を褒められるようになった感動は私的には圧倒的で、このところ毎日嬉しさに溢れて涙してしまうくらいありがたい感覚なのです。

20年くらい自己肯定感のなさに大なり小なり悩み続けたけれど、こんな辛い作業をしなくてもいい世界にこれからはなっていく気がしているのです!風の時代はもっと個が尊重されて、ひとりひとりの輝きが世界を支えていくと思うから!

 

またひとつ、今までよりも楽に生きていけそうな気づきを得ることができてよかったな。明日からもまたしばし、3つの顔を続けていけそうです!

 

あるものに気付かない

今日は畑をやっている母の友達の家へ行ってきました。

野菜をいただきに。

 

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といいつついただいたトルコキキョウの写真。笑

 

農協で地場野菜をおろしている方で、20坪くらいある大きな畑を1人で世話していて、行ったその場で収穫してくれるし、セルフ収穫も可というというお楽しみあり、しかもとれたての新鮮なものがお手頃にいただけるという素晴らしいシステム。毎回本当にありがたい。

 

土をさわって、野菜や花の繊維を感じたり、土を洗い流す時の水の冷たさだったり、人外のものがおりなすものを感じられる幸せよ。。と恍惚していたら、また思い当たることがありまして。

 

 

元々そこまで人間と関わることに興味がなかったので、子どもの頃は1人で散歩をすることが大好きでした。

 

前の記事にも書いたとおり、第六感みたいなものが強かったため、風に色とかにおいを感じたり、水にとろみとか粘り気を感じたりして、私はそういう感覚をみんなが持っているものだと思っていて。笑

 

だけどそういう話をしたら、小学校の年中くらいになってくると気味悪いという反応をされるようになってしまって。

 

友達に距離を置かれたりとか、日記を書く宿題にそういうことを書いたら、先生に直されたりとか。

そういうことが続き、こういう感覚は人に言わない方がいいんだ、むしろ持っていない方がいいんだなと思い出してから、散歩もしなくなり、いつの間にかその感覚がなくなっていました。

 

そして、無理やり友達の遊び方に合わせて人と遊ぶようになって、その中で私は媚びること、人に合わせて平和を保つ処世術を身につけました。

親になんか性格が悪くなったと言われたのも小学6年生くらいの時で、たぶん無理して人に合わせすぎて、仲がいい子が嫌いなものは自分も嫌いなんだと思い込もうとしたり。そういうストレスを家で発散してしまっていたのかも。

 

こんな感じで、自分の感覚を誤魔化す、ないように見せる努力をし過ぎた結果、私は超社会的な人間になりました。人のいうことはちゃんと聞くし、守るし、求められている以上のことをしようと努力したりなどなどエトセトラエトセトラ。生き方の正解を分かったような顔をして、交友関係を形成したり。今思うとなんて必死だったんだ!羞恥がすごい!笑

 

けどやっぱり何か満足できないモヤモヤが常にずっとあって、恋人にそれをぶつけて破滅したり、人の粗探しに夢中になったり、人を必要、不要で判断したり、、今思うと恐ろしい思考回路でゾッとします。笑 結局本来の自分を殺してることを自分でも分かってる一方で、こんな自分を受け入れてくれない社会のせいだ、私は悪くない!みたいな自分を正当化することに本当に必死だったんだろうなって今考えると思います。

 

ただやっぱりその後の1年間のドイツ留学、4ヶ月間の尾道滞在期間を経て、それまでの自分が壊されまくって、今までの自分を恥じるばかりの2年くらいで自信という自信が全て打ち砕かれ瀕死の瀬戸際だったなぁ、、ドイツも尾道もものすごく楽しかったけれども、同時にトラウマも多数蘇るという。笑 いつかドイツのことも尾道のこともしっかり書きたいなぁ。

結局心身ともにガタがきて、昨年の冬みじめな気持ちで実家に戻ることになったのですが、私は本当に実家に戻るのが嫌だったのです。笑

 

家族への苦手意識が強かったし、実家がある町内の人も本当に苦手だし、小学校中学校は嫌な思い出しか正直ないし、どこに行ってもなんだか嵐の前の雲の色みたいな気持ちになってしまって。大学の3年間も盆と正月以外はほぼ帰っていませんでした。

 

だけど帰ってきて、畦道から沈んでいく夕日だったり、雪が降る前のごうっと吹く偏西風の荒々しさだったり、霜が降りて硬くなった庭の苔だったり、子どもの頃大好きだったものが私の心をやさしく溶かしてくれたのです。心から安心して自分を外の世界に投げ出せる、そんな気持ちにさせてくれる風景に私はとても強くなぐさめられた気がします。毎日車も通らない田んぼ道の真ん中を歩いて、あぁ歩くってこういうことだったなって心と身体の感覚を取り戻していくようでした。

 

そんな日々の中で、見えないように封じてた子どもの頃の感覚が戻ってきたのです。あの時ほど強いものではないけれど、土や植物、水、風、太陽、、この世に存在する人ではないものから発されるエネルギーをまた感じられるようになってきました。

 

機を同じくして占星術に出会い、そこから派生してさまざまな自然との関わり方や哲学の実践を知ることが出来たりとか。自分が見ようとしてなかっただけで、たくさんのもの、ひとが私にかかわっていて、そしてわたしにはわたしにしかないものがあるということを知る方ができたような気がしています。

 

あれだけ嫌いだった地元が、今では悪くないかなと思えるまでは好きになれました。家族のことも、絶対に分かり合えないけど、分かり合えないことと、愛情は別物で、私は本当に家族が大切なんだ、だからこそ分かり合えないことがずっと悲しいんだって実感できた。過去のうらみつらみもなんでそんなことに拘っていたんだろうって今は思います。だけど、こういう心境に辿り着くまで、本当に本当につらかった。そんな辛かった私も私だし、過去の自分の傷をゆっくり癒してあげたいなと思います。

 

何でもこれからどこにいても何にしても誰にしても、作っていけばいいんですよね。その時の自分の気持ちに従って生きていれば、いつの間にか心地いい場所とものと人に囲まれて生きていけるような気がします。

 

長々とまとまりなく書いてしまいましたが、大好きな工藤直子さんの詩で締めることにします。

 

 

みえる

 

 

ナスもトマトも机もペンも

みな元気でやっているような

朝がある


風景が透きとおり

ナスやトマトや机やペンが

みえすぎる朝である


みえすぎて

驚いてとびのく朝である


ものたちはおそらく太古から

あたりきのように鮮やかなのであって

わたしは ひょっとして今まで

目を閉じつづけていたのではなかろうか

と思われる朝である

 

工藤直子『てつがくのライオン』より

 

 

本当に私今まで目を閉じ続けていたのではなかろうかという気持ち。これからは、自分の目で感じるままに世界を生きていきたいな。今の私には出来る気がする!!

世界が大好き

みなさんご機嫌いかがでしょう。

 

私はまだ夏至のちからにうっとりしています。

 

 

ようやく、私は過去今未来の私が一直線になった感じ。

過去に起こったこと、過去に感じたこと、過去に埋まってた私にしかないもの、、全てが今に繋がっていた。

 

なんであんなに捨てたかったのか、見たくないものだったのか今は本当にわからない。こんなにあけすけで嘘やごまかしやミエがない自分にほんとにびっくりびっくりびっくり!!!

 

 

未来もこうして今が全部繋げてくれるから。

私はただ、いたいままの私で、こうあることしかできなかった過去の自分を抱きしめて許して、今を生きて未来に進んでいくそれだけよね。

 

昔も今も未来も時間軸として存在してるだけで、全部同じだったんだな〜、本当に何もかもが横並びになっていく風の時代が本当に楽しみで仕方ない!!!

 

 

本当に心からみんなの幸せを祈ります。愛に包まれますように、祝福を!

 

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ちなみに光と闇も同じ、どちらかが消えたら、どっちもなくなっちゃう。