自問自答史。

自問自答史。土から風に乗るために今までの自問自答を滑走路にしたいと思い筆を取ります。

ゲイであることの自覚が自らの女性差別を発見する(私の場合)

ここ暫くは感じたことをそのまま書いていて、結果的にそれが詩っぽいテイストになっていた。という感じだから、こうやって文章を書くのはここでは久しぶり。

 

昨日卒業論文の提出が完了し、あとは口頭諮問を残すのみ。いざ終わってみたらなんだか喪失感が強く、私なりにこだわって書いていたようだ。内容はLGBTQ+の表象を分析し、相応しい当事者表現とは何かという議論へ一定の結論をもたらすというもの。結局汎用な結論になってしまった。けど、これからは、自分の体感で結論を見つけていきたいなと思う。

 

4年くらい前に本格的に自分は性的マイノリティと呼ばれる集団に属していることを自覚したのだけど、当時は女性も男性も好きになるという感覚だった。今思い返すとバイセクシャル当事者の方々に本当に失礼な考え方だと自省するが、当時の私は、別に「異性愛者にも戻れる」と思っていた。そうすれば、自分はマイノリティになることもなく、抑圧を感じずに生きていけるのだし。こんな考え方だったから、自分はLGBT、厳密にいえばバイセクシャルの当事者であるという感覚が希薄、いや、全くなかったと言っていい。だから、当時、多様な社会問題に対する関心はあったけど、LGBTの問題もすごく楽観的に”傍観者”として見ていた。年々受け入れられてるし、私も同じようなもんだから、もしLGBT当事者に出会っても受け入れられるでしょう。このような極めて雑な視線を、LGBTコミュニティに対して向けてしまっていたのだ。

だけど、男性と初めてお付き合いをして、自分のセクシャリティがどんどん揺らいでいく(それは固定化されていくことでもあった)のを感じた。男性と恋愛関係でいる方が、女性とお付き合いをしていた時より、気楽でいられたのだ。

女性と交際していた時、相手のことはもちろん好きだったけれど、会うたびに妙なプレッシャーを感じていた。「男性」なのだから「リード」しなきゃというプレッシャーだ。デートのプランを立てて、彼女の喜ぶ言葉を言って―イニシアチブをとって、彼女にとって良い「彼氏」にならなければ。私の頭を占めていたのは、「男性としての役割を果たさなければ」という焦燥感だったのだ。今ならわかる。そんなものは私の自己満足でしかない。これは恋愛関係だけにいえることではないが、他者と何かをするときは、相手の意思を確認したうえで計画を決めることが肝要だ。それなしに、一方的に物事を進めるのは完全なるエゴであり、相手の意思を無視することである。しかし、当時の私は相手の意思を、言葉を介さず”察し”、先読みすることが、恋愛関係における「男性」の姿だと疑わなかった。

それが、初めて男性とお付き合いをした時、このプレッシャーを一切感じていない自分に気づいた。その気楽さに加え、私は重度のファーザー・コンプレックスである。父は口数が少なく、厳格であり、オーラルでもフィジカルでもコミュニケーションをすることが好きではない人だった。私は元来の気性だと思うが、人に甘えたくてしかたがなかった。中でも、冷たく見えていた父親に対して、意地でも褒められたい、意地でもよくやったと言って抱きしめてもらいたいという気持ちがあり、父親のいうことはできる限り従い、努力した。しかし、その、今思い返すと涙ぐましい努力にもかかわらず、褒められて抱きしめられるという体験をすることは出来なかった。そして、中学時代に同級生に無実のうわさをたてられ、陰湿ないじめを受けていた時、学校に行きたくないと訴えた私に、父は「それは自分の気のせいだ」と言った。その時、私の中で何かが彼に対して閉じた感覚があった。私の言うことをこの人は信じない。ならばもう何も言わないし、何を言われても従うことは二度とない。この不信感は今でも続いている(年々解消されてきたが)。だが、ただよくやったと言って、抱きしめてもらいたい―この気持ちは蓋をしたものの消えることはなかった。ただ目を瞑ろうとしていただけだったのだ。そして、当時の付き合っていた男性に抱きしめられて再び、この欲求が満たされていることに気がついた。プレッシャーを感じない気楽さ、かつて満たされることのなかった欲求が満たされた。このような経緯で、私は、恋愛において自分が求めているのは、男性なのだと自覚した。

しかし、新たな問いが浮かんできた。「なぜ男性と付き合った時には、プレッシャーを感じないのか」という問いである。付き合う人が、男性か女性か。もちろん個人の性格など他の要素もあるにしろ、私がプレッシャーを感じない理由は、相手が女性であるか男性であるかという理由だけだった。それなのに私は、男性とともにいることにより安心感を感じている。

それは自分と相手が両方〈男性〉だからだ。〈男性〉だから心地よいと感じている、それは〈男性〉-〈女性〉という性別の記号によって、私はコミュニケーションや人間関係の構築の仕方を変えてきたということではないのか。

そのことに気づいた時、私は自分の女性への軽視に圧倒された。男性か女性であるかによって、向き合い方を変えてきたこと。そして、それは男性はこうあらねばならないという規範に無批判に従うことによって生まれたものであった。今では、これは典型的な「ホモソーシャル」であると自認できる。イヴ・セジウィックが提唱した概念で、男性同士の強い結びつきによって、女性差別ホモフォビア(同性愛嫌悪)が生まれるというものだ。私はそれまでに関わってきた男性たちおよび日本社会の男女の言説によって、男性とはこうあるべきであり、それから外れる男性は「男じゃな」い―という刷り込みを受けてきた。それが、女性との交際における、私の女性に対する一方的な態度を生み出し、一方でそれをプレッシャーと感じていた。それは、男性とはかくあるべき、という規範に完全には従うことができないという苦悩でもあった。皮肉なものだが、私は息苦しい規範を生み出してきた主体である(もちろん全員ではないし、私も同時にそれを生み出してきた主体である)男性と交際し、自分が気楽でいられることを発見したことによって、このホモソーシャル的、女性を軽んじる自らの姿勢に気づいたのだ。

このことに気づいたことで、私はジェンダーセクシャリティにまつわる言説によって、人々を締め付ける規範や権力に対する強い興味を持った。それが当時の私のような女性の意思を捨象する態度、そして同時に男性であることに苦痛を感じている意識を説明するものではないかと思ったのだ。私なりに向き合ってきたこれらの知見を、どのように現実に活かしていくか。卒論を書きながら考えていたのは、卓上の学びが大切であることは大前提で、学んだことを現実でどのように実践し、自らの問いに対する結論を導いていけるのか、ということだった。

大学は卒業するけれども、数年後にはまた研究をしたいと考えている。これからの数年間は、大学で学んできたことを私なりに実践すること。そしてそれは、次に続いていくresearchでもある。私がゲイを自覚した時に、男女の非対称に自分が加担しているという自覚を得た時の羞恥。これは、自分が研究をする上で、常に念頭に置いておきたい体験だったのだ。