自問自答史。

自問自答史。土から風に乗るために今までの自問自答を滑走路にしたいと思い筆を取ります。

好きを仕事にしてみたら好きの種類が違ったことに気づいた(後編)

随分間が空いてしまった。

前回のエントリーから、状況が色々と変わり、内容に少し陰鬱さが強くなってしまった気がするが、現在の備忘録としても投稿してみる。

 

 

大学事務の仕事は多岐にわたるけれども、共通しているのは、その多くが裏方の仕事であるということだ。

それは言い換えれば、できて当たり前のことをすることである。

私の場合は、学生の履修状況をシステムに正確に反映し、それに合わせた学生の履修相談に応じ、成績を正確に把握し、習得単位数を正確にシステムに反映する。規定の単位を修得し、課程を修了するためにすべて必要な作業ではあるが、学生にとっても、教員にとっても以上の作業は、正確に行われて当たり前のことである。

 

私の大きな関心は研究を、事務やある目的に沿って行うための精査といった、学生時代とはまた違った目線で研究を見ることで、将来の研究の視点を増やしたいという思いがあった。それが叶う部署もあるが、自分のやりたいことを実現するためには、最低でも10年先かもしれないという体感がある。

 

教務は、学生とも教員ともかかわる機会は多い。

 

今自分が学びたいことを学ぶために、貪欲に情報を探したり、その中で生まれた疑問を教務にぶつけてくれる学生もいる。その熱量や、彼らの真剣なまなざしは見ていてとても眩しいし、力になりたいと思わされる。

また、学生時代からお世話になっていた教員と近況や研究の話をすることも本当に楽しい。自分が学ばせてもらった分、力になりたいと思う。一方で、教員てこんな事務的な処理までしないといけないのか、と教員の仕事の新たな一面も発見する。

上に挙げたような熱心な学生はほんの一握りだし、完全に事務職員を軽視する態度を明け透けに出す教員もいる。が、私は人と話すことが正直あまり好きではないほうだが、人の考えに触れたり、新しいことを知るのは楽しい。苦痛を感じることもあるが、学生とも、教員とも話すのは楽しいのだ。

 

だが、学生と教員と接していてたまに感じる虚無感がある。率直な言葉であらわすと、”なぜ私は今そちらにいないんだろう。”

 

社会人になって、これほど自分のための時間が削り取られると思っていなかった。

定時で帰れても、帰って家事や入浴等を済ませると、あっという間に20時近くになる。そこから何かしようと思っても、疲労によって、やりたいこともめんどくさいことになり、スマホをだらだら眺めて寝る時間が来たり。そして、自分の長所でもあり、短所でもあるのだが、仕事のことを考えてしまう自分がいる。

あの業務をもっと効率的になるにはどうすればいいか、それにはこういうことできると良さそう。家に帰っても仕事のことを考え、検索したり、実際にソフトで実践したり。やれることが増えるわけなので、それが特に苦痛なわけではないのだが、やりたいことかと言われると違うと言い切れる。ただ自分の仕事に妥協したくないという思いと、ミスを指摘されて気持ちを萎えさせられたくないという思いに動かされてやっている。

 

私がしたいことは変わっていない。研究なのだ。

未来ではなく、今したいのだ。

この思いは日々膨らみ続けているのだと思う。

 

休みの日に読む自分のしていた研究に関する文献を読んだり、オンラインのトークイベントなどを聴いているときの充実感。私が求めているものがすべてここにある感覚。そこで浮かんできた考えを人に話したいし、話をききたいと思う。人と話すことが好きではない私が、人と話したいと能動的に思える―学びを通してならば、人とかかわることに苦痛を感じない。学問は、自分にとって、人との関わりを保つ方法なのかもしれない。

 

職場の人間関係も良好で、職場環境にとりたてて不満はないのだが、自分の関心ごとを共有できる人は今のところいない。繰り広げられる会話の内容も、たまに耐えかねることがあり、そんな自分に嫌気もさす。資生堂が美白という表現を廃止するというアナウンスに対して、美白の何があかんの?いちいちそういうこと言ってたら何も言えんくない?という会話が聞こえたときは、正直しんどかった。典型的「ポリコレ=表現規制論」を間近で聞くことが、自分の今の人間関係の中で、幸いにも聞くことが少なかったので、ショックも大きいのかもしれない。こういう会話もすべて研究対象にできればいいのだろうけど、日常生活の心身の疲れで、自分の視点を転換する体力もまだ生まれていないのだろう。

 

大学で学び、仕事をする人々が快適に大学生活を送るために、できることはやれるだけやりたいと思う。だけど、自分が求める自分のための幸福は、研究に向いている。それはおそらく当初考えていた数年後ではなく、今やりたいのだ。気づいてしまった以上それをせき止め続けるのは難しい気がしているが、今すぐにシフトチェンジできるかというと、計画と準備が必要でもある。・・・これこそ、お世話になっていた教員に相談すべき案件だと書いていて思った。いつも文章を書いていると思うことだが、書いた方が、自分の本心を理解できるような気がする。同時に、どれだけ自分の感情を客観視することが癖になっているかを実感する。自分の感情を他人事のように感じてしまう長年の癖から解脱したいが、年々その傾向強くなっているふしがあり、こういう人はどうやって自分の感情を向き合っているのかすごく知りたい。