自問自答史。

自問自答史。土から風に乗るために今までの自問自答を滑走路にしたいと思い筆を取ります。

私とわたし

わたしがいきているのは縦横斜め、言葉で決まっている範囲の世界ではない。もっと、目を開けても閉じても、腕を広げても竦めても、立っても座っても感じられる場所。私がいた所では必ず、かたちがないからどんなかたちにもなれた。気まぐれにさらいに来る大きな風がふと、私や何か他のものも巻き上げて気付いたらわたしは私という形で、イラクサの畳の上に横たわっていた。誰にも教わらず私はみる、きく、うごく、さわる、ついにはま・ん・まと、話すということをした。したかったことではなく、できた。できたから、した。しかし、形になるということは形状が変化しないのだ。わたしはこの事実に驚き、水と土、草花の形状変化を羨んだ。しゃぼん玉にも夢中だった。大きく小さく、柔らかく空気に触れながら動く。そしてどこかでいなくなる。わたしがいた場所のことを思い出していた。ここでは大人になった今、私は再び彼処に近づいている。心から戻りたいと思うが、ここで形を留められるのは、あの風が一瞬の風速の中で、しゃぼん玉を吹くように大きく小さく、くうきを揺らしながら、私という形を作ったからだ。わたしと私が同じものであるとやっと分かってきたのだ。どこから来てもどこに行ってもわたし/私は、ひとりにして二人でいられる。せかいの縦横斜めにも、そう呼べない範囲にも「いる」ことが出来るのだ。私として生きる。それがわたしのいきるなのである。

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