自問自答史。

自問自答史。土から風に乗るために今までの自問自答を滑走路にしたいと思い筆を取ります。

ベイビーの畏怖

暫く間が空いてしまったのは、バランサー極めていたからなのです。

 

昨日がバランサーの最骨頂。祖父母の排泄物からすべて一日心を配り、義兄を迎えるため、部屋という部屋の埃をチリ一つ残さず掃きあげ拭きあげ(しかもこれは父の表現しない希望。汲み取るよね〜)、90分授業を合間にふたつ。姉夫婦と彼らの子どもが帰宅してからもまぁ動き回り、やっと今布団の中でスマホを操作中。心から自分を抱きしめて褒めた。申し分のない仕事ぶり。

 

浮世の動向で精神崩壊しつつ、バランサーもしつつという割と追い詰められてた精神状態だったけど、赤子を前にしたらすべてへっちゃらになった。今まで会った親愛なる尊敬すべき親たちの、子どものためなら何でもできる、という言葉に、自分の子どもじゃないけど共感できるほどの心の重量をくれた。

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まさにびゅーてぃふるくりぃちゃあという感じ。

抱き上げるとじっと目を見つめて、またその眼が曇りなくて私という存在の奥の奥まで見つめられている感じがするのだ。けれど全く不愉快でなく、世界はこうして視界の曇りがない場所として始まった、そんな感じがする。

人間と人間ではない存在に対する畏怖を感じたし、ただただすこやかに育つことを祈りながら接していくだけでいいのね、と思った。

じょうぶな頭とかしこい体!タローゴミパイセンの格言実行できるようにどこまでも広い草原のような人間になりたい。触れるものみな抱きしめられるような。