自問自答史。

自問自答史。土から風に乗るために今までの自問自答を滑走路にしたいと思い筆を取ります。

甘茶で嘔吐 自問自答史2 1999年4月

(※嘔吐表現があります。食事中の方、そういう話が見るに絶えない方は回れ右でお願いします。また、宗教の宗派が出てきますが、特定の宗教への嘲笑、批判の意図は一切ないのでご理解お願いします。)

こんにちは。前回初の記事がかなり暗い内容で本当に申し訳ない。ポップに、ウィット、エスプリ効かせたスタイリッシュでfunnyな文章にしつつオブジェクティヴに!という横文字光線を打ちながら書いていたはずなのに仕上がってみたらあの有様だった。客観性を意識したということでお許し願いたい。

 今回はわりかし楽しい、はず!

前回の記事で物心つく年齢が人それぞれで面白いということを書いた。私は物心が2歳半、3歳半〜4歳までぶつ切りで存在し、6歳〜本格的に物心ついたと認識している。今回は1999年4月。私は3歳半で、保育園に入学したばかり。

daseindeteter.hatenablog.com ちなみに前回の記事。

私の通っていた保育園は徒歩2分という超好立地で、浄土真宗のお坊さんと奥さんが経営する保育園だった。私の実家は仏壇屋なのだが、天台宗をこの時世に珍しく割と深めに信仰しており、祖父と祖母の信教への帰依は目を見張るものがあった(面白いのは太陽星座魚座、月星座射手座しかも木星コンジャンクションのフワッフワで優柔不断な祖母はあらゆる宗教団体に勧誘され断れず、一時最澄日蓮、そしてキリスト、エホバの証人をかけもちしていた。)。上記の理由で、しかも前回の記事に書いた通り、血気盛んな天台宗派の祖父はよく浄土真宗的保育を批判したし、園長と口論を繰り広げることがあった(祖母談)らしい。そのため園長とその奥さんは私を敬遠し、腫物に触るかのような2人の視線に当の私は辟易していた。思えばその頃から大人に巻き込まれ翻弄される天命は発動していたな。。

 

話を戻すと。浄土真宗系の保育だったので、子供の親の信教にかかわらず、浄土真宗の宗教儀式が年間計画に組み込まれていた(拒否権とかあったのかしら)。その中に、釈迦の生誕4月8日を祝う儀灌仏会があった(詳細は下記URLから)。園児2人1組で甘茶を柄杓ですくい、釈迦像にかけ、給食の時間その甘茶を飲むという内容だった。

みなさん甘茶って飲んだことありますか?原料はアジサイ科(!)ヤマアジサイの一種(らしい)。

釈迦の生誕を祝う花祭りでもおなじみの「アマチャ」|生薬ものしり事典|元気通信|養命酒製造株式会社

長いこと飲んでないから当時の印象だけど、とにかく甘ったるい。甘露飴とドクダミ茶を混ぜたような味だった記憶なのだ。甘いのにちゃんと薬というか薬草の味がした。

 

......おそらく私の甘茶に対する批判的描写で分かってしまったと思うが、はい、今回のメインテーマは甘茶のあまりのマズさに当時の感覚では保育園で吐いたというトラウマ体験です。またトラウマかよ

私は今も変わらずだけど、本当に小さい頃から甘いものが好きで好きで。甘ければ何でも美味しい、逆に甘くないものに美味しいものなんてない!ぐらいの極度の偏食でした。今は何でも食べられるから味覚の変化って不思議。そんな子だったからそりゃあ甘茶の甘い匂いに包まれながら、見慣れない柄杓というものでいかにも厳かな釈迦像にお茶をかけるという儀式はとても神聖に映ったのです。しかも、儀式が行われる場所が保育園のホールみたいなところなんだけど、ステージがあり、ステージ上に釈迦像があって、ステージに上がってお茶をかけるからなんだか子供時代の背伸び感といえばいいのか。新しいことをしてなんだか得意な気持ちになったことありません?甘い匂いも相まってそのようなカタルシスをより強く感じながら、灌仏会のセレモニーを終えました。

そして給食で甘茶が出てきて、甘いんだからデザートにするんだ!とワクワクしながら給食を食べ終え甘茶を飲んだ時の私の驚愕はこんな平面上の文字では到底伝えきれない。

マッッッッッズ!!!

もう喉を通り切ったが最後、そのまま私は胃に取り込んだ給食を即リバース。保育園のみならず、義務教育において教室で吐くということがどういうことかというと、その時考えられうる羞恥の極みの行為。ウ◯コしてるのがクラスメイトにバレるのと同様、してはならないこと、禁忌なのです(今もそうなのかな。このプレッシャーから解放された教育であらんことを心から祈る。)。しかし助かったのは、周りの級友が次々と嘔吐し、2クラスで共用のトイレは大混雑だったこと(吐くため)。なので私は吐いた人間オンリーワンにならずに済み、恥をかかずに済んだのです。

しかし悲劇はこれで終わらず、これまた時世に合わず厳格な教育があの保育園には浸透しており、最後の一滴まで飲み干さねばお昼寝はないという指令を園長の奥さんが通達し、彼女を恐れていた全職員は泣き叫ぶ園児に甘茶を流し込むため必死。職員さん皆心を痛めていたと思う。担任の先生の表情が悲痛で、「飲ませたくないのに......あぁ、かわいそうな子たち...けど飲まさなければ私たちが怒られる....」という心境が読み取れた記憶。今思うとそれに限らず完全にモラハラが横行していた保育園だったナ。あの時はモラハラという言葉もなかっただろうし、私が知る由もないので分からなかったけど、不必要な厳しさすら美徳とする根深い日本社会の問題が根を張っていた保育園だった。嘔吐物だって誰が処理すんのさ。担任副担任、免疫途上の子どもをたくさんの嘔吐物にさらしてなんか感染症でも流行ったらどうすんのさ。自分たちは意味不明な通達や指示出すだけで事務仕事と偉い人の接待っておい!聞いてるかい園長、副園長(奥さん)!と今は思う。笑

私はどうにか甘茶一気し、2回目も多分吐いたはずだけど、一気にカタをつけた分昼寝の時間を確保できたが、どうしても液体を一気に飲めない子たちは泣きながら先生と一緒にお昼寝の時間も飲み干そうとしてたなぁ。どう考えても不必要な時間すぎる。昼寝の時間が取れないことで生活リズムの乱れや体調不良につながることも子どもは特にあるわけだし。何よりトラウマになるよ!液体摂取に恐怖感とか植え付けたらどう責任とるんだか。書いてて本当腹立ってきちゃう。笑

恐ろしいのは毎年この甘茶惨事が起こっているということを上層部が分かっててやめないこと。灌仏会自体はいい。宗教的儀式に触れる機会はこのご時世なかなかないわけだし、やはりあの神聖なエネルギーというか、あの場が発していた空気感を子どもが味わうことで発掘される子どもの素敵な感情があると思うから。ただ、毎年嘔吐する児童が多いことを知っている上で甘茶を飲まさなければならない意味はマジでわからん。甘茶飲めなくてもおっきくなれるって知らないのかしら。

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灌仏会をする私と同級生。みんなどんな人生を送っているのだろう。

今でも甘いお茶は苦手分野。香料、甘味料たっぷりのお茶はあまり手が出ない(ルピ◯アとかも普通のお茶以外全然欲しくない。あくまでも個人的感想)。とりま子供のためにも職員のためにも、灌仏会は儀式のみ!甘茶は飲みたい子だけ飲む!残しても怒らない!そう、これからの風の時代は自らのやりたい!しか尊重してはダメ、ただただこういうのあるよ〜〜という提示ノミ集中。それにやりたい!と反応があったバイブスには与え、バイブスを示さなくても同じ空間にいる自由は与えるということが保育にも当てはまるんだゾっ。と結局私の通ってた保育園批判みたいになってしまった。みなさんは甘茶飲まれたことあります?私も今飲んだら普通に飲めるんだろうけど、あの甘さと薬感が同居した独特のフレーバーを思い出すたび、胸からせりあがってくるものが.....幼少期のトラウマって恐ろしい!

item.rakuten.co.jp パッケージ的にはおいしそうね。